結果が出るのを求めすぎることの弊害について。

 

こんにちは。

 

先日追いコンがありまして、めでたく最高学年を追い出したわけですが

その時に、夜通し部員たちと話をしていて

しかもそこで、かなりまじめに水泳論を語っていました。

 

そこででた自分にとって最も刺さったのは次のやり取りでした。

 

 

 

 

あるぱかです。

 

まじで、結構いいこと言われたなって思ったんで詳しく書いておこうと思います。

 

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今の自分の状況

 

幹部代も終わりいよいよ最高学年ってとこです。

ベストタイムはかれこれ2年間出ていなくて、その間に目標にしていた大会の標準タイムが1秒近く速くなるというなんとも言えない感じになっています。

 

ベストタイムを出したときは、冬の時期で、あと0.2秒あげればいいだけでした。

その時は、今までよりも4秒くらいベストが出たのかな。

いきなり知らない世界に突っ込んでいった感覚です。

 

それにもかかわらず、その次の大会では1秒くらい遅く次の大会でも。。。

という感じで結局前のタイムまで戻ってしまったんです。

 

 

で、なんとか2年かけてベストプラス1秒が安定して出るようになるまでになってきました。

 

ここまでは本当に長かったです。

 

 

2年間は何をやっていたのか。

 

結果論でしかないですが、自分はメニューに泳がされていたのだと思います。

 

毎日練習はしているし、それなりに追い込んではいるんだけど

その頑張りに主体性があったのかというとしっかりうなずくことは難しいです。

 

がむしゃら感が足りていなかったように感じます。

 

 

がむしゃら感っていうのは何も精神的なことだけではなくて

例えば耐乳酸の練習において、1本目に全力を出し切るのはとても怖いことです。

なぜならば、残りの本数すべてをその出し切った状態でやり切らなければならないからです。

 

体中から力が抜けていく感覚は、体験したことがある人ならば誰でも恐怖を覚えるはずです。

 

でも、1本目に出し切ることによって、練習の効率が上がるのは理解できると思います。

 

 

 

これらを踏まえたうえでの、がむしゃら感です。

このマインドを持っていない人は1本目に飛ばすことはしないでしょう。

 

そういった細かい積み重ねでベストから遠ざかっていたのではないかなと思います。

 

 

もっと大きい理由

 

上にあげたのが一見すると主な理由のように思えますが

実は、はじめに上げた後輩から言われたことのほうが重要だったりします。

 

 

タイムが上がらないどころか下がってきていた自分は

速くならないといけない、と自分を攻め立てていました。

しかし、そう思えば思うほど練習の時には体に力が入り泳ぎが小さくなっていきます。

 

小さい泳ぎのままでは練習の効率が悪いうえに

その癖が大会でも出てしまうことになります。

 

 

泳ぎが小さくなってしまうと、スピードが出ているように感じるのですが

それ以上に体力の消耗が激しく、自分のやっている200mという距離においては

かなり不利に働くことになります。

 

 

心の余裕のなさが泳ぎに表れてしまっている最悪の例ですね。

 

 

これに気が付くのに1年かかりましたので

だいぶ遠回りしてしまったなという感覚です。

 

 

 

まとめ

 

これで、実際にベストタイムが出ていたらこのお話はもう少し現実味のあるものとして受け取られるんでしょうけど、なかなか現実は甘くないみたいです。

 

 

ですが、今シーズンが学生として水泳をやる最後のシーズンなので

まだまだ精進していこうと思います。

 

 

以上!

心の余裕は体の動きとして、思考として具現化する、というお話でした!

 

 

 

では。


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